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日常

夏の死、彗星は落ちていく

暗い夜道を歩いていると、とあるマンションのエントランスでアゲハ蝶が一匹、止まっているのを見つけた。

それはブロック塀の低いところ、足元に近い所にちょこんと止まっていた。

わあっと嬉しい気持ちになり、私はそおっと屈んで近付いた。
夜の暗さの中では、アゲハ蝶は普段の鮮やかさを潜めて、灰色の栞のようだった。
それはまた違った美しさで、もちろん綺麗に違いなかった。

屈んだままじりじりと近付き、写真を撮るためにスマホを取り出したところで、ふとおかしいことに気が付いた。

蝶は私が近づいても一切動く気配がないし、なんなら、風に煽られてはたはた揺らめいても、足ひとつ、触覚一つ動かなかった。

そこでようやく、その蝶が眠っているのではなく息絶えているのだと気付いたのだった。

一度気がつけば、色んなことに道理が通った。

こんな低い所に止まっていたら、猫や鳥なんかにすぐ見つかってしまう。
マンションの入り口だから人通りは多いし、ペットのワンちゃんなんかが散歩に出てきたらすぐにちょっかいをかけられるだろう。

周りには、植木ひとつない。
コンクリートに囲まれた緑の見えない世界だった。

どこか葉っぱの裏に隠れる力さえ、残っていなかったのだろうか。
ふわふわと飛ぶうちに、木々のないところまで来てしまって力尽きたのだろうか。
茹でるような暑さに耐えかねて弱ってしまったのだろうか。
アオスジアゲハなんかはよく湿ったところで水を飲んでいるけれど、今の夏は湿っているところ、なんて本当になかなかないもんね。

それとも、ただ寿命を全うしたのか。

夏は死のにおいがする。

道端には蝉たちはお腹を見せてひっくり返り、その亡骸は胡桃のように簡単に踏み潰されていく。
羽化に失敗し、オパールのような美しい色の不完全な体を、蟻達に持っていかれる蝉の幼虫たち。
干上がって道のシミになったみみず達。

炎天下の中、ちょっとそこまでだし、なんて思って帽子もなしに外に出ると
数十分もしない用事だったのに、家に帰ってくるなり、ふうっと体が重くなる。

暑さの中にいることは、体力とも気力とも違う何かが削られていくようだ。
ただの肉体疲労ではない、自分が生命体として弱っている実感を覚える。

体が太陽を吸ったように、熱く、重く、酩酊する。
目の奥が、じんわりと痛い。
横になると、抗い難い眠気がやってくる。

死ぬ、とは、こんな感じだろうか?と思ったりする。

熱く、熱く、抗い難い眠気。
自分が炎になるような感覚。
焼けていく。

この夏は感傷に浸れないほど暑く、きっと額縁に閉じ込めても熱気でガラスが割れてしまうだろう。

あの蝶が、私の全くの勘違いで、ぐっすり眠っていただけで、明日になったら露を求めてふわふわと飛んでいってくれたらいいのに。

そんなふうに思った。