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大カイジ展!大阪!!

大阪南港ATCで開催中の大カイジ展に行ってきた!おもろかった〜!

ATCまでの道のり

大阪梅田から大阪南港ATCまでの行き方は色々あるが…個人的にはJRで大阪→弁天町中央線で弁天町→コスモスクエア駅ニュートラムでコスモスクエア→トレードセンター前で行くのが一番ストレスフリーな気がした。これから大阪万博行く人にもオススメ。多分速さだったり連絡の良さで考えると地下鉄の御堂筋線で本町まで行って中央線乗り換える方がいいと思うんだけど、そうすると乗り換え時歩く距離が多くて少しめんどいなーと思うのだ。(階段の上り下りが多いので車椅子ユーザーやベビーカーの人が大変だろうなといつも思う)

よく梅田ダンジョンなんて言って梅田の地下通路の難しさを語ったりするが、他府県の方から観たら大阪メトロって難しいのだろうか。東京に比べたらマシなのかな?万博で遠方から来る人はスマホと案内表示をよく読んで頑張ってね!ちなみに万博に行きたい人は中央線で終点の夢洲へ。海遊館へ行く人は途中の大阪港で降りたらいいよ〜○

入場……!!!

ATCに到着すると、会場前の鉄骨には早速佐原が…!これ、ATCの有効活用すぎる。誰もが(主語デカ)このATCの無駄にすごい吹き抜けを「勿体ないな…こんなに立派なのに全然日の目を浴びなくて…」と思っていたのだから……

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他の会場だとこの佐原はどこに配置されていたのだろうか…?こんなに鉄骨っぽい構造のものはなかなかなさそうだが…
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佐原…!!いるぞ!俺がいる…!!

この後突風で……と思うと、少し悲しくなる光景である。

万博が始まったら混みそうだな~と思ったので、私は4月上旬の平日15時頃行きました。ちなみに平日は13:00~18:00、土日祝10:00~18:00と少し変則的なので注意しよう!黒服を着てきたら100円引きなど面白い割引もあった。平日昼間だとお客さんは私を含め15人くらいで、めっちゃのんびり鑑賞できた。絵柄入りのチケットが欲しかったので、現地で当日券を購入。絵柄入りのは当日窓口か、アニメイトでしか買えなかったはず。特にこだわりがなければローチケやe+などオンラインでも事前に買えましたよ。

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こういう凝ってる紙チケットだいすき。しおりにしよう

入場すると早速、係の人にお椀とサイコロを渡されてチンチロができた。原作と同じで3回まで振ることができ、目が出るとペリカをもらえる。私は1000ペリカもらえた。

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結構しっかりしてて、このままお土産したい

出目をちゃんと確認してなかった(多分2だった気が…?)もっといい目だったら10000ペリカだったのかな?ペリカはそのまま記念品として持って帰ってもいいし、火、金限定で班長とチンチロ勝負ができる。(本来再入場は禁止だが、チンチロのためなら出口のスタッフに再入場券を貰うことができたので展示に入っちゃっても大丈夫だった○ただ、混雑状況によって対応は変わるかも?)

たまたま金曜に来ていたので折角だし勝負してみることに。班長が来る!というので、プリキュアとかコナンの着ぐるみみたいな感じで来るのか…!?と思っていたのだが、普通にスタッフのお兄さんでした。(緑の作業服着て班長風だった)でも、畳のござが敷いてあって、周りにはお菓子や1日外出券なんかが並べてあるので地下労働者としてチンチロやってる気分になれた。私の出した目は6で結構強かったんだけど、シゴロで負けちゃった。横の注意書に『イカサマする場合もあります』とあったので四五六賽でイカサマされてたのかも…?賭けたペリカを目の前でこれ見よがしにグシャアッと乱雑に持っていかれるのが結構悲しく、敗者の気分に浸れてとってもよかったです。

一人客にも優しいフォトスポット

中の展示は立体展示とフォトスポットが充実していてかなり楽しかった。それぞれフォトスポットにはカメラがセットされてあり、入場時渡されるカードのQRコードを機械にピッとやると写真を撮ってくれるシステムで、一人で来た人間にも優しかった。

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私も一人で行ったので存分に活用させてもらった。

撮った写真は物販にある機械でデータ+プリントで購入できる。1枚900円、2枚以上購入する場合は1枚700円。ただの写真ではなくフレームにカイジなどのキャラクターや台詞までついてくるので結構嬉しい。データのみの販売もしてくれたらな~と思ったが、それしちゃったら皆データだけ買って、よそで印刷しちゃうもんな、と思うのでこの価格と設定は納得。フォトカードは本日中のみ有効なので、後日再来し、前来た時に撮ったのもやっぱり買おう~みたいなことは出来ないので注意しよう!ただ、フォトスポットのカメラはかなり上方だったり遠方だったりして撮れるアングルが決まっているので、きちんと画角に拘って撮りたい方は友達と来るのがいいのかもな~と思った。

可愛らしいオタク達

平日昼間ということもあって、お客さんのほとんどは一人客。そのため、フォトスポットを使う際はスタッフや他のお客さんが近くにいないタイミングを見計らってスススッと近寄り、素早く撮影し、何事もなかったかのように離れる、という暗黙の了解(のようなもの)が出来上がっていた。 

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お母様がカイジ好きだったっぽい

スタッフさんも見回りはしているが「私は見ていません」という感じで放っておいてくれて優しい。お客さん同士も、「あ、撮ってるっぽいな」という気配を察知すると、少し離れた所で待機したり目をそらしたりと気恥ずかしくも温かい雰囲気だった。(機械からは「ハイ!ポーズ☆」みたいな明るい掛け声が出てくるので、なんだか余計照れくさい感じなのだ。)私もそのおひとり様の内の一人だったのだが、なんだかその光景を見ているとオタク達がものすごく愛おしく思えた。欲しいよな、撮りたいよな、写真…だって利根川も、班長も、一条もいる…。鉄骨渡りの所で声を出さず落ちる石田さんの真似もやりたいし焼き土下座も「ええいっ!」って黒服追い払って12秒やり遂げたいし…セットが凝っているだけに、名場面がたくさん浮かんでくる。自撮り棒を使って頑張って撮っている人もいた。そういう様子を見ていると、「撮りましょうか?」って言いたいなー…私も撮ってほしいしサ…という気持ちがもにょもにょと湧いてきた。しかし、なんか急に話しかけてキモいかなー…一人でゆっくり観たいかもしんないしな…と思って結局できなかった。きっとハンチョウもこう言うであろう。

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心はゴム毬

恥など捨てて頼めばよかったな~と今は思う。これから一人で行く予定の人は是非、へたっぴを脱却して欲望に忠実になろう。

膨大な展示…!!特に立体物……!!!

会場内には壁面に福本先生の原画はもちろん、作中で行われたギャンブルの説明や頻出する熟語が貼られていたりと面白い。 しかし最初に書いた通り、今回の目玉は「これでもか!」とたくさん用意されている立体展示だろう。まず入場すると現れる、演説する利根川。

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立体になると、なんかこういう人いそう感が増して怖い、利根川

立体の利根川、かなり渋くて格好いい。そして怖い。こういう怖くて偉い人けっこういる…。漫画よりも心なしかシュッとしてる気がした。利根川は演説してくれているため録画禁止なのだが、その注意喚起看板もカイジの台詞をもじった特別仕様でかわいい。(写真を取り忘れてしまい、涙涙である)

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中に入れるが服は脱がないように

限定じゃんけんの時の別室は中に入って撮影可能だ。他にも鉄骨渡りや焼き土下座。班長とチンチロを行う畳部屋など…

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畳が結構汚くてリアルだ
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班長を見ていると、本当に警戒すべきなのはイカツイ人じゃなくて笑顔の人なんだな…と思う

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これに座ればあなたもチャンに!
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福本先生女の子描くの下手ってたまに言われてるけど、このシーンで出てくる女の子すごい可愛いと思う。ワニの初恋に出てくる女性陣のような素朴な可愛さだけじゃなくて、ちゃんと美人なんだなー感が出てるよね

友情確認ゲーム「救出」や「愛よりも剣」なんかもある。

作中に出てきたギャンブルの仕掛けがかなり網羅されていたし、そのほとんどが座ったり触ったりできて世界観に没頭できる。和也編のギャンブルやゲームのセットまでこんなにあると思っていなかったので嬉しかった。

ごめん、展示とは全く関係のない私の和也に対する気持ち。展示について知りたい人は飛ばしてね。(全然関係ないけど、和也編読んでると、ここまでの道のりで何回も裏切りを経験しているのに人の善性を根っこでは信じられるカイジって、かなり人として幸せだよなーと思う。幸せというか、生命体として強いよな…。人って裏切るし汚い生き物だと心がポッキリ折れて無気力になるほうが、当然だし、簡単だと思う。信じるのって、場合によっては信じないよりも困難でしんどい。(だけど悲しいんだよね。人って根本的には人を信じたいと思っているものだから。疑うのって単純にコストがかかるからダルイのだ)そんでもって、こういう裏切りはいつ体験するかによっても、ダメージは全然違ってくる。(裏切りというのは文字通りの裏切りもだし、おべっかなどの『本音を見せない』のもある種、裏切りだ。相手を対等な人間扱いしていないのだから)幼少期や思春期に受けた方が絶対ダメージは大きいし、だからこそ和也は人は醜く汚くて信じるに値しないという考えに寄ったんだろう。カイジは平凡で利用価値が少ないから、恐らく思春期に大した裏切りは受けていない。逆に和也は色んな物を持っているから、利用しようとする人間に集られ、結果汚いものを見る。利用しようという目論見のない関わりを、一般的には友情呼ぶんじゃないだろーか。だとさると、価値がないからこそ打算のない関係を得やすく、逆に価値があるからこそ手に入れられないのは皮肉な悲しみだ。そう考えると、和也からしたらカイジって本当はかなり羨ましい人間で、だからこそ惹かれているよなー(面白がったり、憎んだり)と思うし、和也はかなり可哀想だよなぁ。和也自身も父である兵藤みたく共感性や感受性が低かったらまだマシだろうけど、作中の感じだと、劣等感も悲しみも抱いていて、感受性が強く見える。(和也が兵藤に似たサイコパスだとはあんまり思えないよね?どちらかというと自己肯定感の低さと劣等感からくる防衛?優越感を得たいだけというか…。他人が落ちる姿を見て安心している、が近いと思う。ほら、やっぱり人間は汚いじゃないかと再確認して安心しているような…。長男が母親似の美男で自分が父親似なのも劣等感の一つだろうな〜と思う)お金があっても、和也は孤独で悲しいだろな。何億というお金があっても、遊べる立場であっても、兵藤という男が父であることは何億では足らないくらいの損だ。と、思う…。そして、数ある男の中から兵藤を選んだ女を母に持ったことも。(兵藤が長男の手術前に医者に頭下げるシーンもあって、いい親の面もあるんじゃないか説もあるけど、あれって『長男』なのも大きいじゃん?)すみません、展示と関係のない語りで…和也っておもろいやつですよね)

私の他愛ない感想でした

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感謝のロン!
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牌も再現されてます

17歩のブースではカイジの「ロン!ロン!ロン!ロォーンッ……!!」という声が響き渡っており、異様な雰囲気だ。入ってきたお客さんみんな、「おぉ……」とちょっと引いたり、圧倒されてちょっと笑っちゃったりしていた。そうだよなぁ、捨て身な程の懸命さは一見滑稽で情けないのだな…と思わされた。カイジの声の情けなさ、切実さ。へろへろになっている消耗感。改めて萩原聖人さんってすごい演技力だ。アカギの時はひたすらかっこよかったが、カイジを演じている時は悲哀や情けなさ、甘さとも言える優しさとか生白さとか、どっちつかなさ、人間味、格好悪さがあってすごく好きだ。ちなみに会場外の大看板の前でも恐らく撮り下ろしのボイスが流れているので聞いていこう!

そして、クラウドファンディングで製作されたらしい実物大(実寸大?)のパチンコ『沼』会場の出口には出資してくれた方々のお名前が貼られていた。

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沼、赤々としていて、怖そして私は写真が下手!すみません!
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この笑顔が怖い

沼には実際座ることができる。足元は漫画の通りパチンコ玉が積み重なっている。わー!ここ、一条が転がってきたパチンコ玉を拾ったところだ!と嬉しく、わくわくしながら上った。実際打つわけでもないのに階段上るの、ちょっと緊張。操作台もじっくり眺められるので、おっちゃんはここにビール瓶押し付けてたんだなぁ…としみじみ見つめておいた。私が行った日はガラガラだったけど、土日で人が大勢来ていたら『本当に沼を打っている人』と『沼を打っている人を眺める人』になれるかもしれない。それも熱いね~。近くの壁には過去に当たった人として会長と利根川の写真が貼ってあるのも原作通りだ。25分、55分には演出もあり、カイジの台詞と共に沼が七色に輝く。1時間に2回も大放出するのだから、太っ腹な沼である。

そばには実寸大の一条とカイジ。一条が意外にゴツく、カイジがやや小さくぺラいのを意外に感じたが、まぁ確かに一条の性格を考えたらある程度鍛えているだろうし、カイジは良いものも食べてないだろうし体格はよくないか、と納得。

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カイジってなんか、野良犬ってカンジだ

漫画だと黒髪っぽかったのでアニメ版一条の赤茶っぽい髪色を意外に思っていたのだが、スピンオフで背景が分かり、田舎から出てきて成功したんだからそりゃ髪は染めるだろうなーとなんか納得した。(なんとなくだけど、キムタクとか反町隆史の若い頃みたいなイケメン観?)それともスピンオフの表紙のカラー絵で既にあの色だから、地毛なのかね?

(また全然関係ない話だけど、なんか一条って、今だったら黒髪で、髪質改善とかもするし、歯列矯正やインプラントやボトックスもするだろうし、シーシャバーとか経営して村上とTikTokで社長社長!とかやってたのかもしんないね…。帝愛に入るよりはそっちの方が幸せだっただろうか?)

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原作の黒服はTikTokしなさそうだけど、トネガワの黒服はしてそう

帝愛も今だったらTikTokとかで「君でも稼げる!」みたいな動画出してカモを見つけてきてたんだろうか…。それともXで闇バイト探し?原作の一条はTikTok馬鹿にしてそう(偏見)でも、歩兵みたいな仕事はしたくないんだ!と思っているタイプなんだから、案外ねずみ講とか情報商材マルチとかには走らないのかなー。自分は特別だという思いと自分より能力の高い人間が山ほどいる社会との間で磨耗して、等身大の自分を知った一条はどういう判断をしてどう生きるんだろう?というのを、少し見たかったが、そこに至る前に帝愛に入っちゃったんだよね。そして、案外カイジもこんな風に上京してきたんじゃないかなーと思ったりもするけど。

一条が結構デカイし、普通にかっこいい~と思ってしまった。いや、福本先生の描くキャラは皆かっこいいけど。

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一条の焦り顔と冷や汗、結構リアル

カイジだと分かる鼻の尖りや顎の尖り、髪の束感と立ち上がり方、肩のガッシリとした感じとか福本作画だと分かる立体に落とし込んでるのスゴいなーと思った。絶対、めっちゃむずいはず。

グッズも素敵……!!!

物販もかなり豊富だった!ビールやおつまみなどのスナック系、アクキーアクスタ、アクセサリー等は勿論、一日外出券を模したパスケースなんかもあって面白かった。大阪限定の兵藤えべっさんアクリルキーホルダーが本当に効きそうで、でも跳ねっ返りの不幸が恐ろしい禍々しい呪物みたいですごくよかった。

物販会場や公式Xを見た感じ、Tシャツが人気なのかなーという印象を受けた。種類がかなり豊富で、キャラが描かれたものもあれば、概念っぽい普段使いできそうなものもたくさん。

一条のスピンオフ作品の名(?)シーンがプリントされた『ついてきて欲しい俺と一緒にTシャツ』には村上の返答シーンが描かれたポケットティッシュが付属されていて、すごい凝ってるな〜と思った。スピンオフ作品のグッズもかなり豊富だったと思う。ハンチョウの遍歴Tシャツや、ジョイクルーメンバーの相関図が描かれたJoyCrewポーチなんかもあってグッズ考案者の方々のセンスが光っている。私もジョイクルー時代の一条のステッカーを買えて大満足だ。

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一条もまさかYURIと一緒にスマホに入れられると思ってなかっただろうな

会場外にも見処はたくさん。最初に見せた佐原だけでなく…

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なんか、エモさを提供している一条と村上

めちゃめちゃ大満足だった。

カイジおもろすぎ、神?

展示で振り返って、やっぱカイジおもろ~ってなった。忘れている所も多かったので読み直したい。カイジに人気が出たのは勿論デス・ゲーム的なギミックの面白さも大きくあったと思うが、カイジの持つ善性もキーのような気がする。行われるギャンブルは全て頭脳を使うものだから、主人公カイジは当たり前に読者の私達より頭がキレるのだが、将来への展望のなさ(全然あるんだけどね)や鬱屈さという所謂弱者的な言動という普段のダメさで、それを上手くぼやかしているのがうまいなーと思う。親近感を覚える駄目なところと、死に面した時に頭が冴える聡明さの触れ幅の具合が絶妙だ。福本作品は大体好きだけれど、カイジが一番人らしさがあり、取っつきやすい可愛げもあり、感情移入してしまう。

私はカイジどころか、限定じゃんけん前に利根川に怒られる軟弱者。鉄骨渡りで泣き出すやつ、みたいな自分で何も考えられず決められず、カモられてどんどん落ちていく人間サイドの人物なので、利根川や班長らの帝愛側の言葉に身をつまされて夜中にカイジを読むと涙が出る。自分が情けなくて。

情けなさ、は福本作品のキーになるものだと思う。情けなさ、自己嫌悪、弱さ、どうしようもなさ。

最近『地獄ゴルフ二階堂』も読み始めたのだが、これも、まあ、きつくて苦しくて、でもほの甘いところもあって、面白い。

https://morning.kodansha.co.jp/c/nikaidojigokugolf.html

ぜひぜひ読んでほしい。読んで欲しいけど、読むのが辛い人も多いと思うので落ち込んでいる時にはあんまり読まないで欲しい。でも、「キツイよー」と感じる層が読むべき漫画だとも、思う…

あとがき

ATCは一時期近くでバイトをしていたため時々訪れていたが、相変わらず人気がないな~と思いながらぷらぷらと散策した。(インテとかでイベントやってる時は賑わっているのかね?)

でもひっそりしてて、海も近くてのんびりできるし、さんふらわあも見られる。カフェや、飲食店もあるし結構いいところだと思う(あとDAISOがめっちゃデカイ)

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大阪の海もなかなか綺麗でしょ

大カイジ展、大満足でした!みんなも是非行ってみてね~✌

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感想 日常

映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』

体が鍵盤なら、心が弦だろうか

ピアノを聴くのが好きだ。
ポロンポロンと音が粒のように耳に入ってくるのがとても好き。

好きだけれども、正直上手い下手はよく分かっていないと思う。
テレビで見かけたもの、Youtubeに投稿されているもの、街中のストリートピアノで誰かが弾いているもの。
大体、いいねぇ、と言う気持ちで何でも聞いている。

良し悪しはわからないけれど、分からないなりにも好き嫌いはあるようで、
自分で選んで聴くときは大体辻伸行さんかフジコ・ヘミングさんのピアノを聴いていた。

辻さんのピアノは光の粒がポロンポロン落ちるみたいで心地いい。
明るくて、澄んでいて、軽やかだけれど、手のひらにハムスターを乗せた時みたいな心地よい重みがある。
絵画なんかで天使や女神たちはぽうっと金色の光まとっているが、あれをキュッと固めて小さなボールみたいにしたのが辻さんのピアノの一音一音みたいだとよく思う。
YouTubeの辻さんの演奏動画に、傘に雨粒が落ちているみたいな音色だと称賛しているコメントを見たことがあるが、本当に、まさにそんな感じ!
なんて言語化の上手い人なんだ…と感動したことがある。

フジコさんのピアノは、また少し違う趣きだ。

フジコさんの音色には湿度がある。

もし例えるとしたら、落ち葉の広がった煉瓦道みたい。
それもかさかさの乾燥したのじゃなくて、しっとり湿っていていい匂いのするやつ。
霧がかった、少しひんやりする日で、ブーツで踏んだ落ち葉の重なりは少し柔らかい。
木々や、森の深い、いい香りがする。重低音のような重みと響きのある良い香りだ。
そこに時折、柔らかい西日が差してきて、きらきらする感じ。

明るさで例えるなら、太陽ではなくて蝋燭の灯り。
黄金だとするなら、教会の古びた鐘みたいに、少しくすみを携えた輝きだ。

そういうロマンティックさと、薄暗さと、湿度を帯びた落ち着きが、聴いていてたまらなく心地いい。

音楽に詳しくないから、良い悪いも何も分からないけれど、私はフジコさんのピアノが一番に好き。

私が初めてフジコさんを知ったのは、演奏ではなく、本でだった。
(もちろん有名なピアニストらしい、という事と、お名前だけは知っていたけれども)

フジコさんが小学生の頃に書いていた絵日記を書籍化した『フジコ・ヘミング 14歳の夏休み絵日記』を読んだのが出会いだった。

この本は、フジコさんの子供の頃の生活を素敵な絵と共に綴っている。

書籍化するにあたって、少しエッセイというか、ちょっとした文章が追加されていたのだが、その中に、

自分は人と会うだけで疲れ切ってしまう。仲のいい人でも、好きな人でもそう。何日も続けて会うようなことがあったら寝込んでしまう。一人でいて、猫や犬たちと一緒にいる方がよっぽど心が安らぐ。

こういう一文があった。

この一文を見て私は驚いた。
私も何とかかんとか学校や仕事に行っていたけれど、たまらなくヘトヘトだったし、どうして他のみんなはこれを普通にできるんだろう?そして私はどうして出来ないんだろう?そう思いながら生きてきた。

生まれて初めて自分と同じような人がいると知った瞬間だったし、そういう人が大人になるまで生きているのが嬉しかった。
私もどうにか生き方を探せば生きていけるのかも、と思った瞬間でもあった。

そこからフジコさんの演奏を聴き始め、うっとり、うっとり、その素敵な調べの沼にはまっていった。

結局、生の演奏会に行けたことはない。
(全然チケットが取れなかった!)
今回、映画館のよい音響で演奏を聴けてよかったと思う。

中でも、パリでの光の演出を使ったライブが特に美しかった。
真っ赤な光の中に、ピアノと、フジコさん。

真っ黒なピアノは横たわった鯨のように、艶々と美しく光を放ち、
フジコさんは、彼女らしい、彼女にしか似合わないような、繊細で独特で、キラキラした飾り物を髪や首にたくさんつけて、ピアノの前に座っている。

美しくて、美しくて、
目からの情報、耳からの情報、頭に入ってくるもの全てが自分の細胞を癒してくれるのを感じた。


教会でのライブも最高だった。

自分には信仰はないけれど、何かを信じる心や、それを共有している人たちの心の繋がり、心のどこかで互いを少し家族のように思っているような暖かな空気感。

許されているような、受け入れられているような、歓迎されているような、そういう気の緩みをもたらしてくれる温度感。
わぁ、なんかいいな、と思ったし、初めて宗教の本当の意味が分かった気がした。

そういう、焚き火を囲んでいるような雰囲気の中に、流れ出すフジコさんのピアノは本当に荘厳で、でも私達からかけ離れたものではなくて、すぐそばにある救い、という感じがした。
紛れもなく神聖なものだけれど、触れられない大天使のようなものではなくて、どこか庶民的な、小さなものにさえも光を与えてくれるような、そういう小さな妖精のような、近しいものに思えた。

ピーナッツのシュローダーのようにピアノと生きられたなら、
幸せでもあるだろうし、快楽的な苦悩だってあるだろう
君にとってのピアノは何かしら?


フジコさんを好きになってから、彼女の書いた書籍や出演されている映像作品などはいくつか見てきた。
大変な生い立ちの中生きてきた方だが、中でも私が素晴らしいと思うのが、両親を不完全な人間として許し、愛しているところだ。

私も家族のことでかなり悩んでいたため、フジコさんの文章や言葉には沢山感化され、改めて両親のことを人として捉え、考えるきっかけになった。

…が、まだフジコさんの領域には到達できていない。

映画の中で、フジコさんは父の写真を見て、
「他に相手がいないと駄目な人だったから。一人じゃ駄目な人だったからね」と彼の浮気について話した。
実の父が浮気したことを理解し、彼の持つ弱さやそういう状況に陥った事情を理解し、許している。

フジコさんのお父様は結局家に戻らず大人になった彼女と会うことはなかったが、一度だけ電話をした時に、昔と変わらない、年寄りの声じゃない声で「アロー」といってくれて嬉しかったと話していた。

父が、年老いた老人でなく、自分の知っているままの男性でいてくれてよかったと思えるまで、どのような心の変遷を辿ったのだろう?

自分や家族を置いて去っていった父。
怒りが真っ先にあっただろうし、悲しみも勿論あっただろう。

どうして愛していられたんだろうか、と思ってしまう。
どうして愛を愛のまま保持していられたんだろうか?
それとも、一度は憎み、嫌いになって、
そこからもう一度愛すことにしたんだろうか?
それはどうやって?

彼女の母親もまた、かなり付き合いの難しい方だったようだ。
書籍『フジコヘミング 運命の力』の中にも、ばか、あほと暴言を吐かれることは日常茶飯事。
吠えるけれど中身がない、犬のような人だったと書かれていた。
それなのに、うんざりしていたが、それでも人間の中で一番愛していると綴っている。

パリの家のピアノにも、日本の家のピアノにも、フジコさんは家族の写真を飾っている。
いつでも見られるように、と。

世界の流れの中で生きた両親を、ただ一人の人として見つめ、欠点や弱さを見つめ、許し、愛している。そういうところがすごいな、と思った。

そういった許しが、私はまだ出来ない。
そう思ったりもしたし、フジコさんのピアノに滲み出ているのはこういう全てを真っ直ぐ見つめ、美化もせず、かといって憎みもせず、本当を捉えながらただ見据える、眼差しのような気もした。

フジコさんのピアノには、やっぱり根底として暗さがある。

人生に悲しいことや苦しいことが起こりうること。
人が人を傷つけること、傷つけ合うこと。
軽薄さ、無配慮、悪意、運のなさ。
そういう現実的な悲しみ、虚しさ。

そういった現実的な悲しみを受け止めきったその奥で、でもやはり人や世界や命を愛したいとか、許したいとかそういうふうに思っている人でないと醸し出せない何かがある。

彼女の諦めと、許しと、その奥にある本当の優しさが、ピアノに滲み出ている。

そういう、フジコさんの生きる血流みたいなものが、音に流れ出て、わたしたちを癒し、感動させるのだろう。

薄暗い洞穴の中で、一瞬ちらりと光るルビーの原石のように、薄暗く悲しいこの世界に、絶望や悪辣のもう一つ先に、そういう本当の希望があると教えてくれるような。

そういう、優しさと、強さと、粘りと、図太さと、
そして何より清らかさを教えてくれた映画だった。

清らかさとは、本当に清らかであるかではなく、清らかでないことを許すことと、その上で清らかであろうと願うことだと思う。

上映館が少なくて少し遠出して観に行ったのだが、観てよかったと心から思えた映画だった。
まだ幾つかの映画館では上映しているので、気になっている方は是非映画館で見てほしい。

疲れている人、傷付いた人。
その傷が、まだ乾ききらず傷口のままな人。
何かから逃げている自覚のある人、
自分を直視するのが怖い人。
ただただ、もう、何にも考えずに眠りたい、と思う人。

そういう人に特に観てもらいたいと思う映画だった。

もし配信が始まったら、部屋を真っ暗にして、蝋燭だけ灯して、毛布にくるまってぬくぬくしながら子守唄のように観てほしい。
時計もスマホもどこかにしまって、
お母さんのお腹の中にいるみたいな、そんな気持ちで、ぜひ。

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月暈は天使たちの城下町

月を見上げる。

人は月を見上げる。

綺麗だから、光っているから、輝いているから

あまりにも綺麗だから。

笑う赤ちゃんを見かけて釣られて自分も微笑んじゃうみたいに蝋燭の灯りを見ているととろとろ微睡んじゃうみたいに

それはもう、人間の本能みたいなもの、なのかもしれない。

今日、道を歩いていると目の前で突然おばあちゃんが立ち止まって、空を見上げた。腰に手を当てて、大仰に、まるでお風呂上がりに牛乳を飲む人みたいにだ。

おばあちゃんの目線の先には綺麗なお月様があった。

おばあちゃんに釣られて、何人か周りの人も空を見上げた。そして、ああ、月か、綺麗だもんねぇ、と言う感じで同じように少し眺めてからまた歩みを進めた。

私は昔から落ち着きがなくて、歩いていると色んなところをソワソワ見てしまう。

あんなところにカマキリがいるな、とか、あの鉢植えの花はなんだろうとか、よそのお家のベランダに干された年季の入ったキャラクターもののバスタオルだとか、

月は綺麗じゃなくても、いつも見ているそれがいつも、ぽちんと、空にあるからだ

それは綺麗なものを探してとか、感受性が豊かで、とかそう言うのでなく

ナルトが螺旋丸を作る修行をしている時に、自来也がてのひらにちょんと点を書いて、点一個があるだけで人はそこを見てしまうのだ、と教えたあれに似ている。

お、今日もあるな、という気持ちで大体見ているのだ。

そんなわけで、私は大体月を見上げて歩いているから、今日はたくさん同じような人を見かけて嬉しかった。

子供の頃からなんとなく、ちょっとのろくて少し浮いていて、みそっかす、みたいなそういうタイプだったので、こんな時だけでも、みんなと同じことができて嬉しい。

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綺麗なものを、一緒に見たい、誰かと…

ひとりぼっちになりたくないと、きっと大抵の人が思う

誰かと美味しいものを食べたいとか、誰かと素敵な映画を見たいとか、誰かとライブではしゃぎたいとか、

綺麗なものを、美しいものを、見つめて、眺めて、感動すると、人は満ち足りた気持ちになる。

でもしばらくすると、それでは満足できず、ああ、誰かとこれを享受したいという熱烈な欲望がマグマみたいに溢れてくるのだ。

誰かの瞳に映った、この素晴らしい代物を見たくなるのだ。そしてその人が自分と同じく魂を震わせ、微笑む様子を。

月を見るのにお金いらない。お金持ちでも貧しい人でも無料観覧できる。日本の人も、海外の人もおばあちゃんも子供も。

たくさんの人が等しく見ている美しさだから

月を見ると寂しさを忘れ、優しい気持ちになるのかもしれない。

それがきっと私が月を好きな理由。

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秋は木漏れ日の香り

八月に秋はなかった。
九月の終わりにはあったかもしれない。
十月になった今、確実に秋の鼻先がここにある

昨日なかったものが今日はここにある。
ここにあったものも、いつかここからなくなってしまう。

時の流れは実在するか分からない。
ただ人間がチクタク動く時計をありがたがっているだけかも。
夜は明けるのではなくて、大きな巨人がこの地球に覆いを被せたり取り除いたりしているだけかも。

だけども秋はやってくる。

夏の間、ああ、早く秋が来ればいいのに、なんて思っていた汗だくの大人たちの願いを叶えるように
夏の日差しの強烈さに乾涸びてしまった植物たちに慈悲を与えるみたいに

ううん、それはうそ

秋は私たちの気持ちを知らない。
秋も夏も地球も空も私たちの気持ちなどお構いなしにただ自分の出番がやってくるとキラキラと輝かしくその美しさを披露するだけなのだ。

先日、おかわかめに蕾の花房ができた。

おかわかめは初夏から晩夏まで蔓を伸ばし葉っぱをつけ、秋には花を咲かせる。

まだ日中気温は30度前後だった。
なのに植物には秋の訪れがわかる。

私より美しい世界に住んでいる住人、という感じがする。

この子には、植物には、世界はどんなふうに感じられているんだろう。

色はあるんだろうか。
匂いは、温度は、速度は、感触は?

私たち人間より、ゆったりと、穏やかで、
音楽で言うならチェロのような世界なのではないかと夢想している。

植物たちにとっての秋は、芳醇で、豊かで、幾重にも重なり合う心地よい旋律
裸で絹のシーツにくるまるような肌寒さと気持ちよさ

人間は、そのおこぼれを貰っている、と言う気がしている

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心地よさを感じに、外を歩こう

君がいる世界に秋があってよかったな
私のいる世界に秋があってよかったな

秋って素敵なものだから
手のひらにそっと包み込んで、誰かに見せたくなるものだから

でも、そうできないところがもっと素敵なんだよね

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夏の気配!

暑〜い!もう夏やん!!!

いや、まだ梅雨入りしたところなんやけどさ、毎日30度近く気温が出てたら、それってもう夏みたいなもんだよね…

夏って、水が力を持つ季節だと思う。

川とか、湖とか、海だとか。

水面が大きな生き物の鱗みたいに光って、めらめらしている。
めらめら、ぬらぬら、ぎらぎら。

隠しきれない生命力が奥底から溢れ出している感じ。

こういう水塊を見ると、ああ、夏が来たなぁ、って思う。
誰にも止められない夏が来た。

雪崩れてくる力のように、堰き止められない強風のように、
太陽が力を持ち、青空が力を持ち、雲たちが力を持ち、
中からぐつぐつ溢れてくる生命の力が地球を沸騰させる。

じりじりしたコンロの火みたいな日差しとか、
でっかい入道雲とか、
さっきまで晴れてたのに急に雷ごろごろ言ってるとか、
え?あーしのこと殺す気?みたいな豪雨とか。

そういうことに出会うと、
君って、そんなに力あったんだ。
そりゃ、人間って無力だね、って思っちゃう。

人々は科学でそれにそれに適応したんだろけどね。

今日は雨上がりだったからか、川はたっぷり水を蓄え悠々としていて、
草も木々も瑞々しくぷるぷるしていた。
日に当たっている草むらは西日で黄金に輝いていたし、
日陰の木々はお澄ましな感じで、しっとりといい香りがしていた。

いい感じだね、何事も。
そんな感じ。

そんな感じの世界。

これからもっと暑くなるだろうけど、やっぱり外に出たいな。
散歩行きたいな、って思う。

みんなはどう?
ちなみに、今日すごく月が綺麗だったから、お家の周りが曇りじゃないなら見た方がいいよ🌕



#夏の気配
#イラスト制作昴

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感想 日常

キテルグマに続きジジーロンも怒らせた狸【ポケスナ】

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皆さん、こんにちは。
楽しくポケモンスナップやってますか?

前回キテルグマを怒らせた私ですが、相変わらず楽しくポケモンをスナップしております。
トキシキの森にも、行っております。

というのも、ポケモンスナップはマップ上の規定のルートに沿って進んでいくのですが、
(路面電車とか大きい動物園によくあるツアー列車みたいな感じだよ)

途中に分岐出来る場所があり、そこで好きな道を選んで進むことが出来るんです。選ぶ道によって地形が異なり、出てくるポケモンや行動も変わってくるんです。

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こういう感じ↑もっと細かい分岐のマップもあるよ

はい、読んでいる賢い皆さんは分かりましたよね?
そう、この事実は即ち!
キテルグマが居るところを避ければまたトキシキの森にいけるということです!!!

いぇーい✌️

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キテルグマにとってもこれは良いことだよ

キテルグマが避けられる所に出てくれてよかったです。ありがとう。

最近になってキテルグマを避ける分岐を発見しましたので、気まずい思いをせずトキシキの森に行くことが出来ます。
自分がゲーム下手人(へたんちゅ)だからかもしれませんが、クリアまでして何十時間ってやってるのにまだ新しい要素が見つかるって、凄いゲームボリュームだなぁ。

最近見つけたルートは『晴れた森』という場所です。

『晴れた森』に行くには2回目の『霧の森』で右側にあるイルミナフラワーを光らせシキジカとメブキジカを再会させ、その後サーチする必要がありますよ。
ゲームやってない人には全く意味分からない説明で申し訳ない。

トキシキの森は全体的に霧がかかっており、少し先すら見えにくい暗い森なのですが、ここは名前通りすっきり霧も晴れて心地良い場所。
周りを埋め尽くす苔むした緑が何処が神社やお寺のような荘厳さを感じさせます。

きっと少しひんやりするような肌寒さで、落ち着くだろうなぁ…と思わせるような綺麗な所。

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めっちゃええ所やんな。私がポケモンやったらここに住みたい。いや、人間である今も住みたいが。

水辺にはハスボーがたくさんいて、草影に隠れていたり川を泳いでいたり。
シキジカやメブキジカ達の隠れ場所もあります。
草むらに埋もれ眠っているニャスパー達。

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ニャスパーの可愛さ、何?そして私の写真の下手さはもっと何?

うーん、良いところです。

夏の森を経由してからここへ来ると、ジジーロンが見られます。

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頭の方にはヤンチャムが乗ってたのに書き忘れ申した

背中にフシギダネを乗せて、名前の通りおじいちゃんみたいなジジーロン。
ジジーロンは普段のルートだと遠くを飛んでいる姿や後ろ姿しか撮れないので、ここぞとばかりにシャッターを切ります。

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あげる写真ことごとく下手でごめん…

ヤンチャムとフシギダネが遊ぶそばでスヤスヤ寝ているジジーロン。本当におじいちゃんみたい。
違うポケモンでもこんな風に仲がよかったり、面倒見てくれるのっていいなぁ。

それにしてもよく寝ている……
ちょっと起きてくれないかな。

釈明のために言っておきますが、ふわりんごを当てて寝ているポケモンを起こすというのは初歩的なテクニックなのです。

ヤーッッ!!!

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人にはやらねばならぬ時がある

ワーーッッッ!!!!

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すんごい怖かったし罪悪感がとんでもなかった。ロケット団って凄いと思う。シンプルに、ポケモンを悪用しようとか洗脳しようとか思えんって思った。怖すぎる。熊を目の前にして貴方は生命として対等だと思えますか?って話よ

その時の写真です。
こんな下手な写真、ある?

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フィルこれが怖くないとか…世が世なら世界を統べているだろ。将軍の器か?

仕方ないのでもう一回撮りに行きました。これがジジーロンのお怒り顔です。

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こう見ると可愛さもあるね。

怒らせるつもりはなかったんだよ…
起きるかな、って思って……

この距離でこのサイズのポケモンの咆哮聞くの(しかも竜の)めっちゃ怖かったやろうなー。
多分ネオワン号の中で失禁していると思います。

キテルグマが怒るのはかなりの個数当てたと思うのですが、ジジーロンは二三個で怒ったのでジジーロンの方が沸点は低めと言えるでしょう。
サイコパスになりつつあって、自分が怖いですね。

恐らくトキシキの森では指名手配されてると思います。

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ふわりんごを執拗に投げて来てくる不審な狸現る…
トキシキの森には迷惑をかけてしまいました…

皆さま、ポケモンの色んな表情、姿が見たいと思っても一線を越えないようにお気を付けて。
チャオ。

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感想 日常

キテルグマに顔覚えられたからトキシキの森出禁だわ【ポケスナ】

皆さんゲームしてますか?

私は最近ポケモンスナップに再びハマっております。

発売初日に買ってゲームクリア+アップデートまで「うおおおー!」と夢中にやって「これでいっぱしのカメラマンだわ」と満足してちょっと放置していたんですが、最近やりてぇ!となってまたやっております。

面白いんだ!これが!!
ポケモンって可愛い!
可愛いの暴力!!

ポケモンが出て来る度、興味深い行動を見せる度、初めてバナナを食べた赤子のようにキャッキャ言うて笑ってます。

ヌメルゴンってめっちゃ可愛いよね。多分きゅんって感じのお顔と和菓子食べる時の爪楊枝みたいな手足が可愛いんだと思う。嘘。存在全てが可愛い。

折角発売初日に買ったんで、ネタバレせずに何とか自力で図鑑埋めしようとしてたんですが、まぁ、無理でね…はい……。

あれ自分で見つけてる人凄いよね。

私、まずその場で出来る行動全てやっちゃうから駄目なんだよね。

(ふわりんご、メロディ、オーブ、サーチを同時にバババッてやっちゃうので、一体どれがその効果を引き起こしたのか分からなくなるのだ…)

対照実験って大事だなぁって思う。

自分でプレイしていると同じ場所で同じポケモンに反応して似たような写真しか撮れていないな〜と思い、最近は実況動画とかちょこちょこ見てたんです。

そしたら面白いコメントがあって。

キテルグマにりんご当てまくった時の反応見たい!

Youtubeコメント欄

このゲームには『ふわりんご』っちゅうアイテムがありまして、まぁ食べさせたり、当てて驚かせたり、呼び寄せたりポケモンを誘導したり出来るんですね。

ちなみに、軽くて柔らかいため当たっても痛くないと説明されています。昨今の事情を鑑みて色々と配慮されていますね。

前作にはイヤイヤボールっていうポケモンが嫌がるモヤが入ったボールを投げることが出来たんですが、流石にそれもなくなって今作はイルミナオーブというポケモンをキラキラさせる謎の玉を投げることになってます。

味は美味しいらしい。

当てたろやないかい!
キテルグマにふわりんごを!!!
(軽くて柔らかいため当たっても痛くない)

キテルグマはトキシキ森の『樹海』という行くたびに季節が変わる面白マップにいらっしゃいます。

キテルグマが樹海にいるっていう字面がもう怖いですね。

道中可愛いポケモン達を撮影しつつ、
さぁ、満を持して投げましょう。

一回当てると口元に手をやりながら首を傾げてまだ可愛い感じ。

追加追加。

心を鬼にしてやりましょう。私だって本当はしたくありません。

三個くらいじゃ怒らんか。

アッ……

こちらがキテルグマを覗いている時、キテルグマも我々を覗いているのだ。

ああー!!!!!

もうおしまいです。

最後のムービーまでキテルグマ来てた😭
すんません、もうしません…

このネオワン号に寄ってくるキテルグマ達、何か既視感あるなと思ったらピクミンだわ。

ピクミンのさー、日没後飛び立つ演出の所で原生生物が寄ってくるのに似てる。

↓これな↓

ここ怖いからほんま嫌い。私はピクミン死ぬのが嫌すぎてオリマー単体で戦いに行ってたタイプです。結局ステゴロが最強だから、さ…。

皆さん、キテルグマにはご注意。

私は多分顔覚えられたのでもう二度とトキシキ森には行けません。
可愛いフシギダネもニャスパーももう撮れません。

アデュー。

ちなみに上記の行動を撮影すると『警戒のサイン』というミッションをクリアでき、前作主人公であるトオルからこんなコメントをいただけます。

『撮影する時には』って言われたら撮影しても大丈夫って意味やと思うやん…

トオル、テメェ……!君前作でイヤイヤボール投げとったよな!?
リザードをマグマに落としてリザードンに進化させてたよな!?
貴様にだけは言われたくねぇ…!!

ていうか、

そもそも子どもだけで火山やら深海やらに行かせる博士ってどうなんでしょうか?
大人ってそれでいいんですか?

私はカメラマンの地位向上のためこれからも闘います。

皆さん、良いポケスナライフを✌️