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日常

銀杏という名の宝石と災厄

みなさん、銀杏は好きですか?

秋と冬の間にいる今日この頃、銀杏は葉っぱを輝かしいレモンのように黄色に染めてめらめらと光るようです。

小さく、美しい葉を梢いっぱいにくっつけて、風が吹くごとに波打つさまは、たくさんのスパンコールが翻ってきらきらするように見えます。

街路にはたくさんの銀杏があります。
普段はそれが銀杏だなんて意識もしないまま、ちょんと刺された爪楊枝みたいに小高いその樹を傍目に通学したり、通勤したり、ジョギングをしたり、お散歩をしたりしています。
ひらひらと扇形の葉っぱが降り始める頃になって、人々は、わぁ、銀杏が綺麗だねぇと言って街路樹を見上げるのです。

愛らしい葉っぱと共に、落ち始めるものがあります。
銀杏の実です。
杏色で、ころんと楕円の形をした小さな実。
これも、見た目はなんとも秋らしくて、可愛い。
しかし…

そう。みなさん知っている通り、あれはくさい…のです!
人通りの多い道になれば、その実は人の靴に、自転車に、はたまたLUUPなんかにも踏み潰されて、なんともけったいな姿になります。
そして、あの不可思議な香りを放ち始めます。

わたしが幼稚園児だった頃、同じ組のやんちゃな男の子が銀杏の実を踏んで小一時間は泣いていました。
散歩中の犬達も怪訝そうな顔で、ふんふんとあの橙色の染みの匂いを嗅ぎます。

くさい、という害があるにも拘わらず、こんなにも街路樹として浸透しているのが凄いじゃないか、と思うのです。

調べてみると、銀杏は排気や空気の汚れにも強く、水をたくさん貯えているから街中に植えるのに適しているのだって。

しかし、それにしても……

くさい、というのはそれひとつだけでも、全ての長所を消しかねません。
くさいから植えるのやめよーよ…と言う人だっていそうなものなのに…!

というのも、私もこういうことを大阪の御堂筋を歩きながら思ったのです。
大阪の人だったら、くさいからやめようよ~とか、くさいから抜こうや~くらい、言えそうです。
(偏見すぎますね。私も普通に関西人なので許して下さい)

なのに、今日も大阪の真ん中の御堂筋沿いにはずらーっと美しい銀杏がならんでいるのです。

ま、多少くさくても…と思えるくらい、人は銀杏を愛しているのではないでしょうか?

ちらちら輝く金色の葉と、あの独特な香りを自分達の秋の記憶に結びつけて愛しているのではないかしら。

むーんとしたあの香りを感じながら、銀杏並木を歩いていてそんなことを考えたのでした。

私がもし嗅覚を失ったとしたら、銀杏に対する愛着は今より増えるのかしら、減るのかしら。
私はなんとなく、減ってしまうんじゃないかと危惧するのです。
あの匂いに煩わされることはなくなるというのに……

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