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日常

夏と秋の境界で、不可逆

こんなにも暑いが秋が近付いている。
……気がする。

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秋、ここにいるのか

柿の木に実が成り始めた。

赤とんぼが遊ぶように、みゅんみゅん飛んでいる。

夕方の西日に柔らかさが滲み始めている。
溶け始めた氷の切っ先のように。

けれどもやっぱり、まだ夏でもある。

昼間の陽光はビームのように私たちの脳天を照らす。
頭のてっぺんで、目玉焼きが焼けそうなくらい。

打ち水をしたアスファルトのすみっこに、まだ、ひっそりと、しおからとんぼが居たりする。

そして流れる、汗、汗、汗。
たんぽぽのように無造作に咲く、日傘の群れ。
カラフルなハンディファン。

手持ち扇風機が開発されてから、めっきり、扇子を持っている人を見かけなくなった。
それもそうだろう。
今、扇や団扇で自分をあおいでいたら、きっと炭火で焼かれる焼き鳥や、鰻みたいな気分なってしまうもの。

夏は夕暮れ時のようにゆっくりと去っていくだろう。

季節は丁寧に作られた和紙のように、グラデーションを帯びて移り変わる。
子供が急に大人にならないのと同じように。

夏の終わりの夕暮れは、美しくも湿気を帯び、湿っぽい重さと霞み、物憂げな寂しさがある。
もしも人でたとえるならば、初めて挫折を知り、諦めを覚え、その中で人の深みを携えていく大人に成り始めた子どものような後戻りのできない切なさだ。

早く涼しくなってほしいという本能的な願いは一度捨てて、今はこの青年期のような不可逆の苦味を、甘露のようにあじわってみよう。

きっと思っているより早く、時間は進んでしまうだろうから。

(アップするのをすっかり忘れて、のほほんとしている間にすっかり秋になりました。涼しい!)

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